毎週日曜日は陶芸なので、その話ばっかですが。

今日はね、先生は母屋から出てこなかったんだけど、
普段は土曜日に来ていることの多いおばさん(といっても60オーバー)がいて、
3人でやっていました。
そのおばさんも最近、抹茶茶碗を作っていてね。

「先生は『茶碗なんてまだまだ早い』って私には言って、全然教えてなんかくれないものー」
と、冗談めかしながらも、若干の皮肉(笑)混じりに言われましてね。
じいさんのほうも「俺なんかも、なんにも教わっちゃいない」って乗っかってきたりね。
先生に直々に教わってる私に、面と向かってそう言われても、私はなんて返せばいいんだい(笑)

確かに、先生がそのおばさんに、そのようなことを言ってたのは聞いたことがあるんだ。
だから「茶碗を作ってみろ」と言われた時には、私には無理無理って思ったんだ。

別に、趣味でやってるわけだから、決して師弟制みたいなことはないんだけど、
先生がそう言ってくれたのは、「この子ならやるな」と思ってくれたからなんだろうな。

決してね、そのおばさんだとできない、ってわけじゃないんだけど。
そして、非難しているわけではなくて、
このおばさんは、それなりの年齢ということもあるからだとは思うけれど、
それなりの頑固さを持っているわけだ。
あとはね、高台には釉薬塗るなって言ってるのに、いっつも塗っちゃうの。

それに、私もいい年とはいえ、あの教室では最年少だから、飲み込みが早くて当然というか、
周りの皆様に比べて飲み込み早くなかったら、それはそれでやばいわけでね。
そういうのも、先生はわかってるから、だからだと思うわけだよ。

今日もね、高台を削り出してる時にね。
「私は先生にいつも『高台が汚い』って注意される」って言っててね。
「私はね、既製品のきれいな器は嫌いなの。だからね、これも味でいいかと思って。そういうほうがいいじゃない」って。

「そうですね」って答えたけどさ。

普段使いの器なら、それでいいと思うの。
自分で使う器なんだから、それでいいと思うの。
けど、先生はそういうところを注意する。
それはやっぱり意味があるんだと思う。

うちの教室は、今度はこれを作りましょう、ってみんなで同じようなものを作ったりしないから。
それぞれ好きなものを好きなように作ってるの。
だから、先生もいちいち事細かく注意したりしないけど、
やっぱりここがちょっとってところは口出してくれるの。

それってね、やっぱり、当たり前かもしれないけど、的を射てるんだよ。
直すとしっくり来るんだもの。

だから、作りが雑というか、わざと荒っぽく作ってもいいけど、
注意されても直さず、「私はこれが好きだから」って言ってたら、
そこで止まるんだよね。

もっと言えばね。
茶碗はね。やっぱり違うと思うんだよ。
この1年、私も拙いなりにも、先生からいろいろと話を聞いてきた。
茶道具はね、やっぱり品性を伴うものだから。
本当に、びっくりするけれど、形としたら小さな差しかないけれど、
器となった時に品が全く違ってくるから。

それをね、「こうしたほうがいいよ」って言われてるのに、
「私はこれが好きだから」って、直さなかったら、
ずっと茶碗は作れないと思う。
なんて、おばさんには言ってないよ、当然。
1年しか作ってない私が偉そうに言うことでもないけれど、
1年やって学んだことでもあるんだ。

でね。じゃ、そのおばさんの作る茶碗が間違っているかって言ったら、間違ってはいないと思う。
そのおばさんの美的感覚に従ってやっているわけだから。
けど、正しくもないと思う。
それが、日本的な芸術の難しいところだなぁと、改めて思った。
西洋の美的感覚みたいに、線対称なものが美しいってものじゃないから。
曲がってたり歪んでたりするのも、ある時は美しいとされ、ある時は駄作とされる、
そういう世界だからね、日本美術って。
これが正解!それは間違い!っていうのが明らかじゃないから、本当に難しい。

難しいけれど、美的感覚に訴えてくるものだと思う。
美しいとされるものは、やっぱり美しいと思うもの。


「こうしたほうがいい」と言われたら、素直に直せるような、
柔軟性というか、そういうもの、忘れちゃいけないと戒めるのです、自分を。
私、比較的、頑固になりがちだと思うから。
気を付けないと、頑固婆さんになっちゃうと思うから。

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