瑛太じゃないけど
2008年8月25日昨日はWOWOWでサザンがやってました。
のを録画はしました。
MELODYまではリアルタイムで観ていました。
テレビで観てるっていうのに、ミス・ブランニューデイでは泣けてきました。
さっそく2曲目に持ってきちゃうあたりがすげーっす、サザン。
この間、とても嬉しいこと言われました。
言われた瞬間、嬉しくて小躍りしちゃう!っていう類じゃなくて、
あとになればなるほど、ひっそりと「あー、嬉しいな」と思える言葉でした。
なんか、「愛を感じた」なんていう言葉にしてしまうと、
とても陳腐に思えるので、この場での適切な日本語ではないんだけど(少なくとも私には)
大きく捉えて、愛というか、情愛とか仁愛(←辞書で調べた)に近いモノ、かな。
を(勝手にかもしれないけど)捉えて、
今までになかったであろう、嬉しい気持ちを得ました。
人は1人じゃ生きられないから、
必ず人との繋がりは持って生きていくけど、
大切なのって、距離感だなーと、
今日の帰りの電車の中で、ぼんやりと思いました。
10あったら10を共有するタイプの人の中には、
10の内3しか共有しない人を見て
「どうして話してくれないんだろう?」
「全部受け止めるから話して」って考える人もいるかもしれない。
けど、3しか共有しない人は、10共有したいけど3しか話せない、っていうわけじゃなくて、
別に10あろうと20あろうと、大好きだからって全てを共有しなくていいわけで。
そう、つまり、全てを共有しない、打ち明けないからって、
嫌いとか信用できないとか、そういうわけでは決してなくて。
こういう感じ、っていうのは、
どっちが正しいとか、どっちが間違ってるとかではなくて。
やっぱり、言葉にしようと思うと説明になっちゃうな。
人によって、みんな、そのへんの感覚は違うと思うから。
けど、例えば友達の、その辺りの感覚が、
自分と違っていたとしても、わかることができる、っていうのは。
小さな言葉や時間の積み重ねあるが故なんだろうなと、なんとなく。
ある側面から見たら、もしかしたら残酷かもしれないけれど、
私が言ってもらったその一言は、うん、やっぱり、すごく重要な1ピースになるんだと思う。
決して特別ではない時間を、共にすることができる友達。
「友達なんだから当たり前」のことかもしれないけれど、
私にとっては、とても心強い味方だと思う。
のを録画はしました。
MELODYまではリアルタイムで観ていました。
テレビで観てるっていうのに、ミス・ブランニューデイでは泣けてきました。
さっそく2曲目に持ってきちゃうあたりがすげーっす、サザン。
この間、とても嬉しいこと言われました。
言われた瞬間、嬉しくて小躍りしちゃう!っていう類じゃなくて、
あとになればなるほど、ひっそりと「あー、嬉しいな」と思える言葉でした。
なんか、「愛を感じた」なんていう言葉にしてしまうと、
とても陳腐に思えるので、この場での適切な日本語ではないんだけど(少なくとも私には)
大きく捉えて、愛というか、情愛とか仁愛(←辞書で調べた)に近いモノ、かな。
を(勝手にかもしれないけど)捉えて、
今までになかったであろう、嬉しい気持ちを得ました。
人は1人じゃ生きられないから、
必ず人との繋がりは持って生きていくけど、
大切なのって、距離感だなーと、
今日の帰りの電車の中で、ぼんやりと思いました。
10あったら10を共有するタイプの人の中には、
10の内3しか共有しない人を見て
「どうして話してくれないんだろう?」
「全部受け止めるから話して」って考える人もいるかもしれない。
けど、3しか共有しない人は、10共有したいけど3しか話せない、っていうわけじゃなくて、
別に10あろうと20あろうと、大好きだからって全てを共有しなくていいわけで。
そう、つまり、全てを共有しない、打ち明けないからって、
嫌いとか信用できないとか、そういうわけでは決してなくて。
こういう感じ、っていうのは、
どっちが正しいとか、どっちが間違ってるとかではなくて。
やっぱり、言葉にしようと思うと説明になっちゃうな。
人によって、みんな、そのへんの感覚は違うと思うから。
けど、例えば友達の、その辺りの感覚が、
自分と違っていたとしても、わかることができる、っていうのは。
小さな言葉や時間の積み重ねあるが故なんだろうなと、なんとなく。
ある側面から見たら、もしかしたら残酷かもしれないけれど、
私が言ってもらったその一言は、うん、やっぱり、すごく重要な1ピースになるんだと思う。
決して特別ではない時間を、共にすることができる友達。
「友達なんだから当たり前」のことかもしれないけれど、
私にとっては、とても心強い味方だと思う。
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