経験

2005年5月17日
今日も元気に陶芸日和。
先週、新しい粘土を買ったので、
それで大きめの花瓶でも作ろうとは思っていった。
けど、どういう形を作っていいものやら、さっぱりわからない。
そこらにある花瓶もあれこれ見て、
とりあえずこれでいこう、というイメージを持って始めた。

が、できあがりはそれとは全く違うものになった(笑)
敗因はわかってる。底が大きすぎたんだ。
やってる途中から自分でもわかってた。
このサイズであの花瓶を作るとなると、かなり背の高いものなる。
けどそこまで粘土を積んでいく、伸ばしていく技量を自分は持ち合わせていない。
というわけで、壷っぽい形の花瓶になった。
それはそれなりに、今までの教訓を生かして(自分ではそのつもり)
あまり伸ばしすぎず、薄すぎないように作ったつもり。

例えば、飯椀のように、手に持って使う食器などは、
粘土を厚めに残してしまうと当然重くなるから食器としては失敗になる。
けど、花瓶のようなものは置いたまま使うものなので
ある程度は重みがあっても大丈夫なのだそうた。
逆に軽すぎても使いにくいものだし。
それに、あまり薄くしてしまうと、その上に粘土を積むと、
粘土の重さで陥没してしまったりするのだ。

それがないように作ってはみた(つもり)。
で、口を少し高めにしようかと思ったけど、
先生とおじさん(先生の息子)に「それだったらもっと口は短いほうがいい」といわれ、
口を短くしてみた。やっぱりそのほうがいいみたい。
さらに、おじさんが最後の仕上げをしてくれた。格段によくなった。
それから「口のところにすじを入れるなりしてみたら?」と
いくつか装飾の案を出してくれた。
そしたらおじいちゃんも「ここに丸いのつけてみたら?」と。
つけてみた。これまた格段によくなった。

陶芸をやってて、自分ではこういうのがかっこいいだろうな、と思って作っていると、
おじいちゃんに直されることがある。
私の持っているイメージ、わりとモダンな食器のイメージから
馴染みのある、わりと古典的なのに直される。
けど、それがしっくりくる。
それに、古典的で終わらない。その形だって、いくらでもモダンにすることができる。
そういう普遍的な形をおじいちゃんは知っている。
今回の花瓶の装飾もそう。
なにもつけなくてもいい、でも確かにちょっと寂しいような気がする、
と私も思っていた。けど、なにを施したらいいのかわからない。
おじさんとおじいちゃんは3パターンくらいの装飾を、
「あれすれば?」「これでもいいんじゃない?」と教えてくれた。
それがしっくりと馴染む。

「どうしてそんなにいろいろと浮かぶの?」と聞いてみた。
私はなにがいいのか全然わからない、と。
そしたら「いろいろ見ているからだ」って。
いいものは目を引く。印象に残る。そういうものをいくつも見ているから、
そこからいくつか引っ張ってくるんだって。
「例えばお皿なら料理の本見てたら『素敵なお皿』っていうのがあったりするじゃん?」
と言ったら「そうそう、それでいいんだよ」と。
「じゃあ、花瓶ってどこでよく見るのかな?」と聞いてみた。
ガーデニングの本に花瓶はあまり出てこないし、
華道で使うものともちょっと違う。そしたら
「例えばニュース番組の後ろにある花を生けてる器でもいい、
国会議員が話してる横の器でもいい。
ああいうところで使ってるのはそんなにヘンなもの使ってないはずだから」って。
なるほどね〜。たしかに。言われてみれば。

真似はいいけど、コピーはダメだって。
「写真を見て、そのものをそのまま作ろうとしちゃダメだ」
いろんなものを見て、自分がいいなと思うものがあったら
それを真似するのはいい。イメージして作ってみる。
それに自分の要素を少しずつ足せばいい。
それに作っているうちに、自然と自分の要素が入ってくる。
けど、精巧に同じものを作ろうとしちゃいけない。って。
横からおばさんは「同じものなんか作ろうったって作れないよね」と
口挟んでくれたので、私も「そうだそうだ、作れない」って言ってたけど(笑)

例えば絵だって同じだって。
よく、だれそれに「影響を受けて」って言うけど、
言い方変えれば、だれそれの「真似をして」ってことだ、なんて言ってた。
けど、真似から始まったっていいんだって。
みんな最初は真似なんだって。自分でゼロから作り出すのは難しいよって。

経験からある程度の予測を立てて
それに対応するのがディフェンスだ
桜木にはまだその経験が絶対的に足りない

なんかね、バカみたいになんでもかんでもスラムダンクに結びつけちゃいますが、
つい、牧の言葉が浮かんじゃいました。
私には、陶芸を作る経験ももちろんのこと、器を見る、知る経験も少ない。
フランフランとかに売ってるようなモダン食器。あれはよく見るよ。
あれはあれでかわいいし、きれい。
でもそういうのじゃなくて、もっと普遍的なもの。それを知らない。
だからわからない。
まぁ、おじいちゃんと私じゃ、人生経験においても全然違うから、
おじいちゃんみたいな深みはね、到底無理なんだけど。

おじいちゃんは
「なんでも一流のものを見るように心がけること。それが大切だ」と教えてくれた。
器でもいい、絵でもいい、なんでも一流のものを見る。
いいものは心に残る。いろんないいものを見ると感性が豊かになる。
そうするといろんなものが作れるようになる。
んだって。いい勉強させてもらったな。

おじいちゃんは、別に着ているものがブランドもの、とかじゃ全然なくって、
ユニクロのフリース着こなしてたりもする。
でもすごく感性が豊かだ。
陶芸もやってるし、お茶もやってるし、パステル画もやってる。
昔は水墨画もやってたって言ってたし、油絵もやってたって。
いつだかマティスがきてたでしょ?上野に。
それも楽しそうに見て来てた。「なんであんな赤がだせるのかな〜」って言ってた。
そういう感覚が大切なんだろうな。

25年も生きてるのに、いろんなものに触れる機会が少なすぎた!
もっともっといろんなものを見たい。
ちょっとでも興味を持ったら見てみようと思う。
できることならやってみようとも思う。
私にはまだまだ経験が足らない!!

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